こんにちは。1歳児の母、そして、「人をダメにする研究所」の研究員 兼 ライターやってます。
かつて私は思っていました。
「子どもが生まれても、ミニマルに暮らしたいな〜」
「木のスプーンで離乳食を優しくあげたいな」
「忙しくても白湯は白湯として飲みたいな」
…って言ってた私、前に出ろ。
「当初イメージしていたリビング。白木・余白・観葉植物。つまり幻想。」

かつて私は「丁寧な暮らし」を夢見ていた。 朝は白湯を飲み、観葉植物に葉水をあげ、リネンのエプロンをまとい、無垢材のテーブルで小鉢と豆皿を並べて発酵食を味わう。
そんな未来を妄想していたはずだった…。
……で、今どうなってるかというと現実は、こんな感じに。

現実の我が家のカオス ───
- 床に散乱する絵本・パンくず・おむつ山脈(テープが無理矢理外された負傷おむつ多数)
- おしり拭きの海のラグ、そして隙間から発掘されたおしゃぶり(3日前に失踪)
- 収納ラックが上段しか使えずオブジェ化
- ベビーベッドに住所不定の物の山が埋もれている
そう、これが今のわが家の、“丁寧に崩壊していくライフ”。

収納を全部引っ張り出されるので上段以外の収納を諦めた廃墟ラック。
赤ちゃんの執拗な“はがし攻撃”に日々さらされ、すでに端はボロボロなクッションガード。もはや意地で付いてるレベル。
1歳児と暮らす部屋は、まるで文明崩壊後のシェルター。
ティッシュは常に何枚か引き出されており、謎の破れた絵本、 床には乾いたバナナ、壁には謎の液体。
もし今、我が家にルンバを放ったら3秒で停止して「無理です」って言うと思う。むしろ一回転して帰ってく。
そして私はというと、散乱するおしり拭きを元に戻しながら、 「えっ今踏んだのバナナ?ウンチ?」という謎解きに挑んでいる。
丁寧な暮らし、完敗 ────
1歳児って、好奇心のかたまりなんですよ。
朝起きるとすぐ地獄みたいに散らかすんですよね。もはや我が子は“人型のハリケーン”。
どこに収納しても5秒で取り出す。バケツにしまえば全部ひっくり返す。
しまいには「ティッシュ食べてみたよ☺️」みたいな顔してくる。ホラー?
最近はもう悟りました。
丁寧な暮らしを目指すより、命を守るほうが大事。
かつては、白湯を飲み、リネンのエプロンをまとい、無垢材のテーブルで小鉢と豆皿を並べて発酵食を味わい、そんな“丁寧な暮らし”を妄想していたはずだった。
しかし、今や床にへばりついているのは乾燥したバナナ。しかも1回誰か踏んでる。
足跡ついてるし、1歳児が「おいしーっ!」って言いながらそれを食べようとしてる。
もう笑って許してしまう自分がいる。
そして気づけば、理想の「北欧っぽい部屋」は、
「西のほうに洗濯物の山」「東のほうにおむつタワー」みたいな縄文時代スタイルへ。
自然と共生してる感は、もしかしたら北欧より強いかもしれません(白目)。
むしろ「その山、あとで崩して遊ぶのかな?」と優しい気持ちになってきた。
もはや善の心。人間ってすごい。順応力すごい。
カオスの中の癒し ────
それでもまあ、幸せは転がってる(主に床に)。
文明崩壊の真っ只中でも、ふと笑ってしまう瞬間はある。
- 寝かしつけ後の静寂が、地球で一番うれしい瞬間になる(脳内BGM:賛美歌)
- 朝5時に起こされると見られる、赤子の寝癖(芸術的なボンバーヘア)
- ブリンバンバンの曲でノリノリで踊るガニ股パリピ姿
そして、文明が崩壊しても、子どもの「ママ~」という声は最高の癒しだし、
おんぶしながら飲むぬるいコーヒーは、なぜか一番おいしい。
今は「片づいた部屋」より、「笑ってる子ども」を優先してる毎日。
整ってない日々こそが、ちゃんと生きてる証なのかもしれない ─── 。
「文明は崩壊しても、笑顔は残った」

私は思うのです。
“丁寧な暮らし”とは、Instagramで検索するものではない。
誰かをちゃんと愛して、笑って、乗り越えてる毎日の中で見つかる、小さなカオスとの共存であると。
このカオスな時間も、いずれ懐かしくなるんでしょう。たぶん。いや、なってくれ。
丁寧な暮らしへの道のりは遠いけれど、寝かしつけで寝落ちしなかった今日の自分をまずは褒めよう。
─── ということで、今日もなんとか生きてます。
そろそろ飲み残しの麦茶を飲んで、床にへばり付いたバナナを拭いて寝よう……。
そして、「人をダメにする研究所」は今日も、ちゃんと“ちゃんとしてない暮らし”を肯定していきます。
